1月1日

この度の震災に際し、心よりお見舞い申し上げます。 皆様方の一日も早いご復興をお祈り致します。

今回は車系とは全然違いますが、被災経験と不思議体験をしましたのでそれをお話出来ればなと。

地震で亡くなってしまった方もいらっしゃいますし、つい最近では豪雨もありました

本当に居た堪れない気持ちでいっぱいです。

これは私の被災経験も兼ねて

皆さんも避難リュックなどは作っておいた方がいいよというお話と大きい車持って置いた方がいいですよという話です。

皆様1月1日石川県で大きな地震があった事はご存知だと思います。

その時私、現地にいまして被災しました

1月1日はお正月という事で朝から親戚みんなが集まりおせち料理を食べたり団欒としていました

小さい時は皆が泊まり3日くらいまでは居ましたが、今はみんな大きくなったのでお昼におせちを食べ

14時くらいには解散。家にはおじいちゃんおばあちゃん、私、弟と4人で残っており

「俺と弟は夜飯食ったら帰るわー」

なんて会話をしていました。

15時くらいには料理なども片付け終え、ばあちゃん達も疲れたのか私も含めお昼寝をしていました

すると4時前位でしたかね?(正確な時間は覚えてないです。この半年くらいは記憶が曖昧で精神的なショック?で記憶が飛んでます)

震度5位の地震がきてビックリして皆が飛び起き、私も飛び起きました

地震が収まり、ばあちゃん達と

「おお、おさまったね。びっくりしたね〜」

と安堵していた15秒後位でしょうか

ゴゴゴ…ドッカーン!!

本震がきました

家の軋む音、自分も倒れ目の前のばあちゃんも倒れ、ばあちゃんの叫ぶ声、目の前で色々な物が歪んでいました。

私は人生いつ何があっても悔いないように生きてきているのですが、そんなふうに生きてると思っても

「まだ…死にたくない!」

と感じましたね。

例えるならガチャガチャのボールの中に入れられてシェイクされてるような間隔といいますか

大の大人が地震で倒れるなんて。と思っていましたが本当に倒れるんですね

幸いにも家は古いですがじいちゃんが耐震耐震とリフォームをしてたおかげで、家は倒れなかったです。

地震が収まり、家が海の近くなのでマズイ!津波!と思い

「皆外でろ!!」と私が一声かけ

ばあちゃんを引っ張り、弟はじいちゃんを引っ張ってたかな

外を開けようと引っ張ると「あ…開かない」

地震で家が傾き扉が開かない。聞いてはいたけど本当に開かなくなるんですね

だけど外に出たいし私が本気で蹴飛ばしたら何とか開きました

そして開けた瞬間

「ここは…どこだ?」

何かの焦げる臭い、鼻血が出る前の臭い?というか、今まで見てた昼間の光景はどこへ行った?

とりあえず車で逃げなきゃ!と私の車を見ると、車の前の道路が盛り上がり出れない

弟の車はかろうじで出れそうだったので、「鍵あるか!」と聞くと幸いにも持っていたので

ばあちゃん達を乗せようとするとばあちゃんとじいちゃんが

「横の家のおばあちゃん助けんなん!犬乗せんなん!」と

私は

「そんなんええ!早く乗れ!!しょうがない!!!」と

横のおばあちゃんと飼ってた犬を置いて、無理やりばあちゃん達を乗せ

私、弟、おばあちゃん、おじいちゃんで弟の車のヴィッツに乗って逃げたしました 。

その時におばあちゃんおじいちゃんが

「置いてきてしもたー、あーーーー」と言ってたのは今でも鮮明に記憶に残ってます

私に対して酷いなーと思うでしょう。これは被災したら分かりますよ気持ちが。私だってどんだけ辛かった事やら。

長男として残った人を出来るだけ早く安全な場所へという気持ちだったんでしょうかね

記憶ないですけど。

そして朝とは景色が違う道を全速力で走り抜け、安全な場所に。

人生無駄な事はひとつも無いと言いますが、走り屋しててよかった

冷静に走り抜けられました。

そして被災生活が始まります

詳しく話すと5作位になりそうなので割愛します(私の精神的もしんどい)

ここから私の不思議体験になりますが

被災生活をして3日目位かな?

余震でまだまだ揺れる中、車中泊をしてた時です。

寝ようにも寝れないし、なんとかお酒で誤魔化しながら寝ようとしてました

これは私がそう思ったからなのか、本当だったのか分かりません

眠ている時に目の前がふぁーーと白く光って、30前後位の女の人の声かな?

「もう大きい地震は来ないよ」

と言われ。はっ!と起きました

起きたのは夜中で停電しているので明かりは無いし、陽も当たっていません

あれはなんだったのか。

その出来事以降本当に大きな地震は来ていないです

オカルト的な話になってしまいますか、見える系の人に見てもらった所

それはご先祖さまだと。お前は元々先祖が普通の人より多くいて、かなり守られてると

そのうちの1人がお前に話しかけたんだな。

との事でした。

という被災経験と不思議体験をしたお話でした

こんな辛い思いは二度としたくないですが、日本にいる限りはどこかで経験してしまう可能性があります。

避難リュック、車には常にガソリンは半分以上入れておき、何かあった時に備えて置いた方がいいです。

私もその理由でアストロを買いました

ガソリンを食う。というより横になって寝れるという事が大事なんですよね

と、いうお話でした。書いてる私も辛いですが、亡くなられてしまった方の気持ちは本当に居た堪れないです

ただ、他の方がこれを見て避難リュックを作ってくれたり備えをして貰えたらという思いで書きました。

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